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2005.10.09

要約対談2005/08 3/5

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・構造・主張・根拠

E:私も新聞の40字要約やっていて、だいたいこのあたりが核心部分で、ここで再説明しているとか場所でわかるようになってきました。

K:構造がつかめるようになってくれば、ほぼ正解なんじゃないかと思います。

E:私はわかりやすく伝えることを仮のゴールにしているのですが、生徒さんに話しをする時には、最終的な使い方の話をされますか。

K:第一は文章を読む時の基本がわかる。構造が読める、根拠と主張という基本的なことが分かる。これは根拠、これは主張とか、それが分かると自分の文章を書く時、役に立つんです。それから、言いたい事をとにかく短い文章でまとめることができる。
その人はいっぱい考えている訳ではなく、一つの事を考えている。その一つがわからなければ、結局その本を読んだことにならない、文章を読んだことにならない、まとめて区切をつけないと次にいけない。たくさん本は読んだけど、何が書いてあったか、すぐ忘れてしまう。まずは読んで、たくさんメモをとって、こんなことが書いてありましたと、言ってノートをとってもいいですけど、それは時間的にむずかしい。
とにかく短い文章でこんなことが書いてあったとまとめておく。そういう習慣をつけておく。そうすると蓄積していくということです。それが一つです。
あとはわかりやすく相手に伝えるというコミニケーションですね。そのためには短くないと人は読んでくれない。要約、ずっとやってきて私も思うのですけど、切り絵のようなもので、切りますよね。きれいに切って、これが要約できましたって言うんですけど、切り残したところというか、要約では使えないな、って部分がありますね。
実はここに書いた人の思いがこもっているんですね。文章の中で主張と関係ないことが書いてあっても、そこに思いがこもっているいることもある。
残ったものを額に入れると、きれいになるのと同じで、切り残したところもまた面白いと思うようになったのです。やっぱり人間って書きたいじゃないですかね。
わかって欲しいから一杯しゃべりますよね。それはそれで良いと思います。

E:会社の業務で要約を使おうとすると、逆に取り残した部分をついてくる人もいて、要約は厳しいし、覚悟がいるもんだな、と思ってしまうんです。

・要約は冷たい? 

K:要約を大事だと思っている人の世界ではわりと通用する概念ですし、また入試とか大学の世界では、当たり前だということになっていますが、実社会ではそうでもないような気がしますね。人間が絡んできますから、本当に必要最小限のことだけ伝えて機械的にやればうまく良くかと言えば、そうではない気がしますね。
だけど大事なことを残す上では、要約というのは大きな力を持っている、あなたはいろいろ言っているけど本当のことはこうでしょうと。

E:わからなくなったら、ここに戻ってね、分からなくなったら聞いてね、といっているんですが、実社会ですから、分からないときでも読んでくれなかったりするんですよ。

K:要約がまだまだ機械的だと思われている面はあるんですよね。
こうでしょう、と言うと、冷たい感じがしますよね。合理的な感じ。この人だけまとめる力があるように言われるから、言われた人はこんなことも書いてある、これが大切だと付け加えてくるんですよ。そこんとこをもう少し変えていかないと、なかなか。
それとは全然違うもんだということを知らせていかなくてはいけないですね。

E:今までの話では要約は、読解から始まってコミニケーションに移行していったわけですね。でもなかなかコミュニケーションの道具とは思ってくれないということですね。

K:コミュニケーションというと、もう少し暖かいもんだというイメージがあって、要約には冷たいイメージがあって結びつかないんだと思うんです。コミュニケーションは分かりやすく伝えるということなので同じことなんでしょうけど。
コミュニケーション、イコール分かり合うみたいに理解されてないので、使いにくいのだと思うんです。
要約って難しいと思われているんです。訓練が必要だとか、確かに必要な面もあるんでけど、引いちゃうんでしょうね。
50字で言ってくださいとか、まとめて言えばどうなるか、冷たいものと感じだしちゃうんでしょうね。50字で言えるわけないだろうとか、だったら練習しなきゃいけないとか。

E:一度データベースの要旨欄を30字から50字でまとめてくださいと依頼したことがあったんです。できる人はできているんで驚いたことがあります。

・実は要約も創造的

K:わりにワープロソフトなんかで加工しやすいですから凝る人は凝るんですよ。逆に40字でこれをやれと言われると楽しくなる。そういうのを味わうと楽しくて継続できるんです。
生徒も要約をやっていて楽しんでいます。
要約ってやらされているという受身に捉えがちなんです。人の書いたものを受け取って何とかしようって。要約って、本当は自分で作っていくものですよね。相手の言っていることを作ってあげる、一つか二つの文にしてあげる創作的なことなんですよ。
それが分ければ楽しいです。もう一回、分かりやすく作り直してあげるわけですから。

E:長文や本を要約する時、主題がいくつかあったりすると、言いたいことをいくつか40字で箇条書きにして、一番大事そうなのを一つ選んだり、さらにまとめて要約するのか、方法論として悩むところではあるところなのですが。

K:本を短くまとめる時は、そういう言いたいこととか、いろいろあると思うんですが、それは完全に無視するすると言うか。

E:無視する。

・『雪国』にも挑戦

K:細かいところといっても何なんですが、一行一行は無視する。全体でこの人はこれについて、こういうふうに言っていると、パッとやってやるしかない。

E:そう思い切ると、やってやれそうですね。

K:そう思い切れば良いんですね。
アンダーライン引きながら読むと、ものすごい情報量だと思うんですね。それは大切なことだと思うんですよ。でも、一言で言いあてようとすると、アンダーラインを引いたところにこだわってはいられない。
題名とか、テーマとか前書きとかをしっかり読んで、この人はこれについてこう読んでいる人だなと、つかんで、自分で仮説をたてて読んでいって、こうだったと言い切るしかない。

E:そうしてみると川端康成の雪国も言いたいことは、これだと言いあてることができますよね。駒子がどうのこうの考えていると良くない。

K:表現にとらわれてしまうんですね。

4/5 ・要約教材として社説は最適か ・切り捨てる潔さ ・読ませる要約に続く

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